ソニー株式会社
システム研究開発本部
インタラクション技術開発部
加藤 亜由美
加藤 亜由美
モバイル機器の画面の中に、黒いゴムボールが表示されている。その画面を手面に傾けると、「ポーン」というゴム特有の質感や重みが、手のひらに伝わってきた。まるで本物のゴムボールが、手の中で弾んでいるような感覚だ。
人間とコンピュータの間の領域を「触覚」でつなぐ─。ソニー株式会社のインタラクション技術開発部に所属する加藤亜由美さんが取り組んでいるのは、「触覚インターフェース」と呼ばれる最先端技術の開発だ。「私たちは普段、デバイスからの情報を『視覚』と『聴覚』で受け取っています。その2つに『触覚』を加えることで、今までにない、よりリアルなユーザー体験が可能になると考えています」
冒頭のモバイル機器は、その「触覚インターフェース」の技術を用いた試作機。この技術は、すでに実用化にも成功している。その一例が、昨年公開された映画『バイオハザード:ザ・ファイナル』の体験型プロモーションで使用された『ハプティック(=触覚)ベスト』だ。主人公がゾンビの攻撃を受けると、その衝撃が音と振動で直接プレイヤーの身体に伝わる未知の体験は、国内外から多くの注目を集めた。
「振動するデバイスがベストの中に入っていて、画面の映像や音と連動して、よりリアルな感覚を与えられるようになっています。ユーザーは当然、ゾンビを見たことも、ゾンビに噛まれたこともありません。それでも、『ゾンビに噛まれた感覚』をリアルに感じることができるよう、ベストから伝わる振動をデザインしているんです」
加藤さんの研究のミッションは、曖昧で数値化しにくい人間の「触覚」を定量化し、人間とコンピュータの間を新たなインタラクション(相互作用)技術でつなぐことだ。「例えば、スマートフォンなどのデバイスを操作するとき、『なんとなく心地よい』や『なんとなく使いやすい』といった言葉にしにくい感覚があると思います。その『なんとなく』の部分を、実験によって緻密に数値化することで、限りなくリアルな感覚に近い振動の設計や、ユーザビリティの向上に役立てるのが目的です」
VR(ヴァーチャル・リアリティ)などと融合させたインタラクション技術の革新がめざましい昨今、「触覚インターフェース」の技術開発に対する期待も高まっている。
「視覚や聴覚と違い、『触覚』は学術的にもまだまだ未知の領域が多く、可能性は無限に広がっています。5年先、10年先の時代を見据えた研究のため、現在一般的に開発されている機器には搭載できないというジレンマもありますが、いずれは世の中の多くの人に触れてもらえるような形で実用化したいと思っています」
学生時代から、人間の感覚の「なんとなく」の部分に関心があったという加藤さん。大学院では、「ふわふわ」や「もちもち」といった食感を表す擬音を言語解析によって定量化し、擬音による検索でユーザーに最適な飲食店の情報を表示するシステムの開発に取り組んだ。
「当時から人のふわっとした感覚に興味があったんです。その曖昧な部分を解明してシステムに落とし込めば、人間とコンピュータの間をもっとスムーズにつなぐことができる。私自身も普段から感覚を頼りに生活しているので、そういう技術に興味があったのかもしれません(笑)」
こうした擬音検索の研究には、学部生時代に取り組んだ画像処理や言語処理などの技術も役立ったという。
「技術はあくまでも、自分のやりたいことを実現するための『ツール』です。『このシステムがあれば、もっと便利なのに』というアイデアが研究の出発点なので、そのために必要な知識や技術は分野を問わずどんどん吸収しました」
最後に、理工系分野をめざす高校生に向けて、加藤さんからのアドバイスを聞いた。
「これからはコンピュータ側だけではなく、それを使う人間の側の研究もますます重要になってきます。『この技術が実現したらユーザーはどう感じるか?』と常に人を見据えた技術開発を行うためには、文系理系問わず幅広い分野にアンテナを張っておくことが必要です。高校生のみなさんにも、今のうちからさまざまな分野に興味を持って、知識を吸収してほしいですね。それは将来、自分のやりたいことを実現するための『ツール』として、必ず役に立つはずです」
ゴムボールだけではなく、ピンポン玉や金属などさまざまな材質のボールが画面の中で転がる。よりリアルな感覚を追究するために多くの被験者からデータをとって「触覚」を数値化した。
映画『バイオハザード:ザ・ファイナル』の体験型プロモーションで使用された『ハプティック(=触覚)ベスト』。アクチュエーターという振動装置で、ゾンビに襲われた衝撃が直接プレイヤーの体に伝わるようになっている
加藤 亜由美
ソニー株式会社
システム研究開発本部
インタラクション技術開発部
東京大学大学院 情報学環・学際情報学府修士課程修了。大学院では「コンピュータと人が接するタッチポイントを研究したい」という思いから、擬音による飲食店の推薦検索システムを開発。現在に至るまで、人の「感覚」を追究したインタラクション技術の研究に取り組んでいる。