株式会社イノカのコアテクノロジーである「環境移送技術®」とは、海をはじめとした水域の自然環境を、水槽を用いて陸地で再現する独自の技術。自社開発したAI/IoTデバイスを用いて、水質・水温・水流・照明環境・微生物を含む生物同士の関係性など、自然を構成する要素を構造化し、実際の環境に近い状況をつくりだす。
近年、SDGsにおける14番目の目標として「海の豊かさを守ろう」が設定されるなど、海洋環境を保全することの重要性が広く認知されるようになった。一方で、プラスチックごみや生活排水による海洋汚染、海洋酸性度の上昇、海洋資源の枯渇など、海をめぐる問題は深刻さを増している。私たち人間の社会が発展していくために、“生命の源”である海洋の犠牲はやむをえないのだろうか。この二者択一に、新たな選択肢を提示しているベンチャー企業がある。「人類の選択肢を増やし、人も自然も栄える世界をつくる。」というミッションのもと、2019年に創業された株式会社イノカだ。
「弊社のコアテクノロジーは、海洋の環境を切り取って閉鎖空間のなかに再現する『環境移送技術®』です。水質や水温、照明環境、生物同士の関係性など、多岐に渡るパラメーターをコントロールし、水槽内に“小さな海”をつくりだしています。自社開発したAI/IoTデバイスを用いることで、精密かつ効率性の高い制御・管理が可能となりました。また、各パラメーターを組み合わせ、任意の海洋環境を想定した実験を行うこともできます」
そう語るのは、同社でリサーチャー(研究員)として勤務するパッチョンスク・ティーラノクーン(以下、ピート)さん。洗剤や塗料といった海洋生態系に影響を及ぼす可能性を持つ物質について、自然の海に流出する前段階として、海洋を再現した水槽内での影響を評価する研究に取り組んでいる。評価対象はネガティブな影響をもたらす物質だけではなく、水質改善への効果が期待されるものもあるのだという。多くの企業が環境保全に乗り出した現在、さまざまな業界から調査の依頼が寄せられているとピートさんは話す。
「これまで企業が取り組んできた環境保全は、経済活動に伴って生じる環境への悪影響を抑えるものが一般的でした。しかし、最近では単に負の影響をなくすだけでなく、事業成長と環境回復の両立をめざす『ネイチャーポジティブ』という考え方が企業経営において浸透し始めています。ただ、環境問題は無数の要因が複合的に絡み合うことで生じており、改善に向けた施策の効果を正確に予測することは困難です。そこで、さまざまなパラメーターを制御しながら詳細に分析できる私たちの技術が求められているのです」
イノカが創業時より注力しているのは、サンゴに対する影響の評価だ。サンゴ礁は多くの生き物に住み家や産卵場所を提供し、海洋生態系のなかで重要な役割を担っている。いわば“海のインフラ”としての機能を果たしており、海洋の生物多様性を定量的に評価するための大きな指標になりうるのだという。2022年2月、イノカは「環境移送技術®」を活用し、世界で初めて真冬に人工環境下でエダコモンサンゴの産卵を実現した。
「通常、日本のサンゴは6月ごろに産卵しますが、私たちは夏の沖縄の海を水槽内に再現することで、真冬の2月に産卵させることに成功しました。この成果は、サンゴ、さらにはそれを取り巻く生態系にとってベストな海洋環境を擬似的につくりだせたことを示しています。『環境移送技術®』を用いた環境評価の精度を高めるうえでも、大きな一歩でした」
自身も海の生き物をこよなく愛するピートさん。彼はどのような目標を持って研究に取り組んでいるのだろうか?
「人と自然が共に栄えていく未来を実現することが、私たちにとって最大のミッションです。そして、そのためには海洋汚染の実情を広く知ってもらうことが最優先だと考えています。人は生活のために海を汚していますが、普段はそのことをあまり意識していません。まずは課題意識を持つことが、海の環境を守るうえで何より大切なのです。将来的には世界中の海を再現できるイノカの技術を活かし、私の母国であり豊かな生物多様性を有するタイ王国でも、海洋環境保全に向けた意識づけを広げていきたいと考えています」
こうした思いから、イノカでは教育事業も積極的に展開している。子どもたちやその家族がサンゴに触れる機会を設け、海の生き物の魅力や大切さ、そして深刻化する環境問題といった難しいテーマについて楽しみながら学んでもらうことをめざしているのだ。
「環境問題と向き合ううえで重要なのは、“今”動くということです。問題を先延ばしにしていては、いつまで経っても改善されることはありません興味はあるけれど自分ひとりで動くのが不安だという人がいれば、ぜひイノカに遊びにきてください。私たちと一緒に未来の選択肢を増やしてくれる方を、いつでもお待ちしています!」
「人類の選択肢を増やし、人も自然も栄える世界をつくる。」をミッションに掲げ創業した東京大学発のベンチャー企業。IoT・AI技術を活用して生態系を陸上に再現する「環境移送技術®」の研究開発および社会実装を推進する。日本で有数のサンゴ礁飼育技術を持つアクアリストと、東京大学でAI研究を行っていたエンジニアが中心となり、特定水域の生態系を陸上の閉鎖環境に再現することに成功。海洋環境の健康診断技術の確立に向けた研究を進める一方、海を守る仲間を集めるための教育事業にも取り組む。
1990年生まれ。タイ王国出身。タイ王国トップ校のマヒドン大学生物学科を卒業後、チュラロンコン大学海洋科学科生物海洋科学専攻課程にて理学修士。2017年に来日し、静岡大学にてPh.D.取得。国立遺伝学研究所(NIG)で魚類の遺伝学に関するプロジェクトに従事。2023年よりイノカにジョイン。